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アイ・ジョージ(あい・じょーじ)です。
【アイ・ジョージ(あい・じょーじ)】
アイ・ジョージ(あい・じょーじ、1933年9月27日 - )は日本の歌手、俳優、実業家。【アイ・ジョージ(あい・じょーじ)の経歴】
1933年、香港生まれ。本名は石松譲冶(いしまつ・じょうじ)。
父は石油会社の役員、母はスペイン系フィリピン人。
外地生まれで、なおかつ混血児であったこともあり、戸籍上は1940年4月15日生まれ・父方の祖父母の第三子として届出がなされているそうである。
パン屋・菓子屋・運送屋・ボクシング選手・競輪選手・ハンコ屋…さまざま職業を転々とする。
1953年、流し(米軍キャンプでも歌っていた)に転向していた頃、仲間に勧められ、テイチクの歌手採用試験を受け合格し、黒田春夫という芸名で「裏街ながしうた」でデビューした。
第二の田端義夫というキャッチフレーズで歌謡曲歌手として売り出すテイチクと、ジャズ歌手として売っていきたいジョージの主張が食い違ったこと、レコードも売れなかったことから、歌謡曲である「心の十字路」、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの伴奏による「オー・ハッピデー/涙のチャペル」など数枚を吹き込んだだけで、テイチクを退社。
再び、流しの歌手として日本各地を回る。
1959年、大阪最大のナイトクラブである「クラブ・アロー」に、外人歌手の代理として出演依頼が来、そのステージが大盛況であったことから、支配人である古川益雄に見込まれ、アロー専属歌手となる。
その頃、森繁久彌に見込まれ、森繁劇団の大阪・新歌舞伎座公演に流し役で出演。
1959年12月、トリオ・ロス・パンチョスの日本公演の前座歌手となり、改めてアイ・ジョージとしてデビュー。
紅白歌合戦には1960年から1971年まで12回連続出場。
1961年にはドドンパ・ブームを起こす。
外国曲を中心に歌っていたが、オリジナル曲では1961年には自作曲「硝子のジョニー」、1965年には純然たる歌謡曲「赤いグラス」をヒットさせている。
1963年10月8〜10日、日本人初のカーネギー・ホール公演を果たす。
またこの年には富豪令嬢と結婚、一女を儲けるも1976年離婚した。
1969年にはスペイン人等を集めたバンド/ザ・ジャパニーズを結成。
1972年、長年所属していたテイチクからコロムビアへ移籍(〜78年)。
この頃から実業家としての活動がさかんになり、沖縄海洋博を見込んで作ったレストラン、八丈島のホテル、六本木のメキシコ料理店などを経営するもすべて失敗に終り、10数億の借金を抱えることになった。
1987年、借金をようやく返し終えたこともあり、NECアベニューへ移籍し、本格的に歌手活動を再開するも、同年末に金銭トラブルを起こす。
そのこともありメディア出演はさらに減っていき、1996年暮れテレビ東京の懐メロ番組に出演したのが現在テレビに出た最後になっている。
現在はロサンゼルス在住という噂があるものの真偽は不明。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8
硝子のジョニー
赤いグラス
夜のストレンジャー Stranger In The Night
異国の丘
赤いグラス
夜のストレンジャー Stranger In The Night
異国の丘
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