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イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のYouTube(ユーチューブ)動画。

【イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)】
イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。
略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。
YMOはテクノの歴史の中でも初期のグループであり(当時は具体的に「テクノ」というジャンルはなく、それは後に定着したものである)、また彼らの音楽にはロックの要素もあったことから、現代のようなテクノにカテゴライズできるとは簡単には言い切れない。


【イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の経歴】
1978年初頭、自身の新たなグループの構想を温めていた細野晴臣であったが、2月19日に行われた細野のソロアルバム『はらいそ』に収録される「ファム・ファタール」のレコーディングの際に、以前からそれぞれ交流のあった坂本龍一、高橋幸宏の2人と、初めて3人で顔を合わせることとなった。
その日細野は2人を自宅に招き、新たなグループのコンセプトを彼らに伝えると2人は賛同、YMOが結成される。
後にプログラマーとして、結成前から坂本と組んでいたシンセサイザーのエキスパート松武秀樹がサポートメンバーとして迎え入れられた。
YMOの特徴であるシンセサイザーの自動演奏は、松武が一手に引き受けることとなる。
1978年11月25日、デビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』をアルファレコードより発売。
1979年5月30日、デビュー・アルバムをアメリカのマーケット向けにリミックスしたアルバム『Yellow Magic Orchestra』(米国盤)をA&Mレコード傘下のトミーの自己レーベル、ホライゾン・レコードから発売。
9月に発売された2枚目のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』はオリコン・チャートの最高9位にランクインし、セールスはトータルで100万枚を越え、その名を老若男女に広く浸透させることとなった。
同アルバム収録の「ライディーン」は、YMOの代名詞的な曲となる。
10月には初のワールド・ツアー「トランス・アトランティック・ツアー」をイギリス、ロンドンのヴェニュー公演からスタート。
ツアー中はテレビ、ラジオでも数多くのライヴ特番が組まれ、聴衆に対して媚を売る事なく黙々と楽器と向かい合う奇抜な演奏や真っ赤な人民服風のコスチュームなど、その独特なスタイルが注目を集めた。
ついに帰国する頃には日本でYMOブームが起こっており、海外で火がついたYMOの人気が日本に「逆輸入」された形となった。
YMOの日本国内での人気は圧倒的なものとなり、その人気は流行に敏感な若者はおろか、当時の小学生にまで広がっていた。
若者がテクノカットをまね、竹の子族が「ライディーン」で踊るなど、YMOの影響は社会現象にまでなった。
1980年3月からは初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」が行われる。
6月には、スネークマンショーのコントを織り交ぜて制作された4枚目のアルバム『増殖』を発表。
10月には第2回ワールド・ツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」がイギリス、オックスフォードのニュー・シアターから始まる。
同ツアーは7か国15会場で行われ、アメリカ、ロサンゼルスのチャップリン・メモリアル・スタジオ公演は日本への衛星中継が行われた。
ツアー中にアメリカのテレビ番組「ソウル・トレイン」に、日本人ミュージシャンとして初めての出演を果たしている。
ツアーは12月の日本武道館での4連続公演で締めくくられた。
1981年はYMOの大きな転換期であった。
3月、アルバム『BGM』を発表。
それまでとは音楽性があまりにも違いすぎる『BGM』の発表は、ポップなサウンドを期待していた多くのファンを引き離す結果をも生んだ。
続く11月には、『BGM』とはまた趣向の違う実験的アルバム『テクノデリック』を発表。
音楽とテクノロジーの新たな可能性を追求したこれら2枚のアルバムは、いずれも評論家やコアなファンから非常に高い評価を獲得している。
それらのアルバムの発表に続いて、2度目の国内ツアー「ウィンター・ライヴ1981」が11月24日の宮城県民会館公演から始まる。
またこの時期から、メンバーはソロ活動や他アーティストとの活動を盛んに行うようになっていった。
「ウィンター・ライヴ」を最後に、翌年にはYMOとしての音楽活動はいったん休止状態となる。
翌1982年、メンバーはソロ活動と同時に、歌謡界への曲提供に力を入れることとなる。
しかし1983年3月、カネボウ化粧品のCMタイアップ曲となったシングル「君に、胸キュン。」でYMOとしての音楽活動を本格的に再開する。
この曲以降、今度は自らに歌謡曲というレッテルを貼り、ポピュラー志向の日本語ロックを展開した。
解散記念としてアルバム『サーヴィス』が制作されることとなった(ラストアルバムである『サーヴィス』を含む後期の作品は、細野曰く「オマケ」であり、彼は『浮気なぼくら』が実質的なラストアルバムであるとしている)。
10月には「オールナイトニッポン」に3人が出演し、「散開」(解散)が表明された。
11月3日、最後のツアーである「1983 YMOジャパンツアー」が札幌公演から始まる。
彼らの活動期間はわずか5年間であったが、その音楽性や彼らが開拓したテクノロジーが国内外の音楽界に及ぼした影響は絶大であった。
散開からおよそ10年を経た1993年2月、YMO「再生」(再結成)が発表され、4月1日にはメンバー3人揃っての記者会見において、新しいアルバムの発表と東京ドームでのコンサートの実施が公表された(この時点で「YMO」という名称は商標登録されており、使用できなかったため、再生時のグループ名は「YMO」の3文字の上に「×」を描いたものが採用された。
読みは「ノットYMO」。
5月26日、アルバム『テクノドン』を発表。
6月10、11日には、東京ドームにて再生公演が行われた。
8月25日、東京ドームでの公演を収録したCD『テクノドン・ライヴ』が東芝EMIから発売。
以降、解散などのアナウンスもないまま、YMOは再び活動を停止する。
2001年1月23日、NHK-BS2で放送された細野晴臣デビュー30周年記念特番「細野晴臣 イエローマジックショー」にて3人が競演。
3人が老人に扮してどてらを着て演奏するというユーモアぶりで、打ち込みなし、シンセサイザー・エレキベース・生ドラムのみの簡素な「ライディーン」を演奏してファンの間で話題になった。
翌2002年、細野と高橋がエレクトロニカユニット「スケッチ・ショウ」を結成。
アルバムには坂本も参加したほか、ライブ「Wild Sketch Show」にて、ゲストミュージシャンとして坂本がステージに立ち、ライブでは新たなアレンジとなった「キュー」や「中国女」、細野と高橋のみで演奏した「ジャム」と、YMOのナンバーも数曲が演奏された。
2007年2月3日、キリンラガービールのテレビCM企画において、ついにYMOが復活する。
CMには3人が揃って出演し、さらに、CMのために「ライディーン」を新たなアレンジで録音した「RYDEEN 79/07」が使用された。
その後5月19日、「Smile Together Project」の一環としてHAS名義でのライヴをパシフィコ横浜国立大ホールにて行った。このライブでは「RYDEEN 79/07」をはじめ、「以心電信」、「音楽」、「CUE」といったYMOのナンバーも演奏され、さらに映画『EX MACHINA』のテーマ曲となる3人の新曲「RESCUE」も披露された。


(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/YMO



◎イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のYouTube(ユーチューブ)動画。

Technopolis PV




YMO - Recording


You can enjoy Videos by 『YouTube Seeker』


YMO - BEHIND THE MASK (1993 Tokyo Dome Live)




YMO - Rydeen





theme : YouTube動画
genre : 音楽

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