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【米米CLUB(こめこめクラブ)】
米米CLUB(こめこめクラブ、英Kome Kome Club)は、日本の音楽バンド。略称は 米米(こめこめ)、K2Cなど。
1982年、文化学院の学生だった石井竜也、小野田安秀、大久保謙作、得能律郎らが中心となり結成され、1985年10月にレコードデビュー。
ダンサーチーム「SUE CREAM SUE(シュークリームシュ)」、ホーンセクション「BIG HORNS BEE(ビッグ・ホーンズ・ビー)」、また多くのサポートメンバーを伴う大所帯バンドである。
1997年3月に解散コンサートを行い活動を停止したが、2006年4月に再結成。
所属レコード会社はソニー・ミュージックレコーズ。
音楽的にはファンク、ニュー・ロマンティック、落語、ロック、歌謡曲、フォークなど雑多な要素を融合したもので、特に江戸落語の影響を強く受けた石井のステージングはバンドの個性となっていた。
またコンサート中盤にジェームス小野田の登場シーンを設定する構成も独特で、毎回工夫が凝らされた小野田登場はコンサートのハイライトとなった。
【米米CLUB(こめこめクラブ)の経歴】
1982年11月21日に慶應義塾大学三田祭でオリジナル曲8曲と山本リンダの『狂わせたいの』を披露。その場限りのおふざけバンドのつもりが、観客の好評を得た。
メンバーもライブに空間的総合芸術の光を感じ、以後ライブハウスで活動を重ね「謎のパフォーマンス集団」などと呼ばれテレビや雑誌にも登場して話題となり、1985年10月21日にシングル『I・CAN・BE』、アルバム『シャリ・シャリズム』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)からメジャーデビュー。
この頃シングル・アルバムや雑誌では「米米クラブ」と表記されていた。
1988年にはシングル『KOME KOME WAR』、アルバム『GO FUNK』が、1989年にはシングル『FUNK FUJIYAMA』、アルバム『5 1/2』が売上ランキング上位に入り、1990年、JALのCMソングに使用された『浪漫飛行』がスマッシュヒット。
次第にJ-POPバンドとして世間に認知されるようになった。
ただ、世間でヒットした所謂売れ線系統の曲だけでなく、マイナーでディープなソーリー曲と呼ばれる楽曲も古くからのファンの人気を集めていた。
ソーリー曲とは「ふざけた曲を歌っても、すぐに"Sorry"と謝り許してもらおう」「謝ってしまえば何でもあり」というような志向で作られた楽曲群であり、元々は「ウンコ曲」「企画物曲」と呼ばれていた。
アルバム名はユニークなタイトルが多く、ファーストアルバム『シャリ・シャリズム』(SHARI-SHARITHM)は、米米CLUBの活動のために立ち上げた個人事務所の名称(SHARISHARISM)でもあり、「米(シャリ)+リズム+?イズム」の造語。
他にはもじりを多用し、『KOMEGUNY』はロサンゼルスでレコーディングをしたことから「アメリカ=米国=こめぐに」、『GO FUNK』は「ご飯食う」、『5 1/2』は「5半=ご飯」、『聖米夜』は「精米屋」、『Phi II』は「Fights」、ラストアルバムは『PUSHED RICE』は「押米=おしまい」などダブルミーニングなどを多用した凝ったものが付けられた。
ファンクラブ名も「米米CLUB」をもじり「COME COME CLUB」(カムカムクラブ)という名前だった。
1992年、フジテレビ月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌に『君がいるだけで』が起用され、300万枚近くの大ヒットを飛ばすと、米米CLUBの知名度は一気に上昇し、ファン層は拡大、それ以降の曲は広いファン層や売上げを意識したものが多くなっていった。
彼らの特徴であり魅力であったコミカルな要素が減り、フロントマンの1人であった小野田の活動は縮小、石井1人がメインボーカルを担当することが多くなった。
そうした状況の変化は古巣のファン離れを生じさせ、また、これまではバンド活動を中心に行われてきた石井のアーティスト活動が、映画制作や個展といった公の場に移ったことに対する不信感もファン離れに拍車をかけることとなった。
そうした状況の変化が原因となってか、1995年には結成当初からのメンバーであった坂口と得能が脱退。
米米CLUBの基本的姿勢として、すべての楽曲で「作詞・作曲(・編曲) 米米CLUB」とクレジットし、ギャラを全メンバーできっちり等分するというものがあったが、1993年頃から編曲の名義は個人名も出し、石井の映画主題歌などでは石井個人名義でクレジットする、などの行動があったことにより軋轢が生じたとの見方もある。
2人の脱退をきっかけに次第にバンド活動に困難が生じ、翌1996年には一切のライブ活動を行わず11月に解散の発表がされ、1997年3月5日・6日に東京ドームで行われた「THE LAST SYMPOSIUM」を最後に解散、以後各々ソロ活動に入った。
2005年6月16日、古くから親交のあるCharの50歳のバースデーパーティーを開催するに当たり、Charの息子であるRIZEのJESSEが、「サプライズで米米をやってほしい」と石井やメンバーに頼み、石井もCharに恩返しするという意味も込めて久々に演奏することになった。
その際バンド名を「米米米CLUB」とし楽曲を演奏。
10月21日にはデビュー20周年の日にファン投票によるリクエストベストアルバム『米 ?Best of Best?』がリリース。
その頃から石井がテレビやラジオの番組に出演した際、「米米に関して何か企画している」というような発言が聞かれるようになった。
2005年12月には青山のライブハウスでシュークリームシュの一夜限りの復活ライブが行われ、米米CLUBのメンバーがバンドとして出演した。
また、特別ゲストとして小野田が出演し、往年のヒット曲を歌った。
これらのことから「もしや復活するのではないか」と一部ファンの間で話題になっていたところ、2006年3月21日、石井のソロライブで米米CLUBのマスコットであった「ダブルドリブル」が登場し、「米米CLUB、はじめます!」と宣言。
翌日午前0時丁度に公式サイトが立ち上がり「2006年4月1日から活動開始」との発表があった。
後期にバンドを去った得能・坂口も参加しての再結成となり、当初10月まで期間限定の活動と告知された。
その後3ヶ月連続のDVD付きシングル発売、大規模アリーナツアーなどを発表する。
各シングルは全てオリコン10位以内を獲得、ツアーチケットも全公演完売するなど大きな話題となった。
そうした反応にメンバーが手ごたえを感じ、10月22日に横浜アリーナで行われたツアーの最終日には石井自ら期間限定を撤回し、活動を継続することを発表した。
公式サイトには10月22日付で「米米CLUB」名義の期間限定解除への経緯と解散撤回の決意を示すコメントも載せられ、翌年9月5日には再始動後初となるオリジナルアルバム「komedia.jp」を発売、オリコンチャート10位を記録した。
なお、この解散撤回宣言は「ソロ活動はしない」という意味ではなく、石井をはじめとする各メンバーのソロ活動も継続して行うとしている。
2007年の第58回NHK紅白歌合戦に第47回以来11年ぶりに出場。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%B1%B3CLUB
◎米米CLUB(こめこめクラブ)のYouTube(ユーチューブ)動画。
米米クラブ - 浪漫飛行
米米CLUB-ひとすじになれない
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君がいるだけで〜米米クラブ〜
米米CLUB -HIT MEDLEY
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【倖田 來未(こうだ くみ)】
倖田 來未(こうだ くみ、本名:神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府出身。
エイベックス・rhythm zone所属。
身長154cm。
歌手のmisono(元:day after tomorrow)は実妹である。
【倖田 來未(こうだ くみ)の経歴】
DREAMS COME TRUEのライブビデオを観、歌手に憧れ芸能界入りを志す。1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組『ASAYAN』内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において2次審査を通過したが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。
これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。
2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。
先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。
全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場20位、最高18位を記録。
更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位、最高19位を記録、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。
華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。
さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。
当時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。
彼女はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と語っている。
そんな彼女に転機が訪れた。
2003年にスクウェアから発売されたプレイステーション2用ゲームソフト『ファイナルファンタジーX-2』のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇。
しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。
元来太りやすい体質であったが、当時の彼氏の励ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロかっこいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』の頃。
この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされた。
そして2004年、本人も友情出演した映画『キューティーハニー』の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。
13枚目のシングル『奇跡』もトップ10入りを果たし、徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった。
2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のヒットとなった。
ライブやPVではバストや美脚を意識した露出度が高い服装や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その独自のスタイルが「エロかっこいい」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。
2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。
その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST〜first things〜』を発売。
総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブのママをやります」と宣言した。
ベストアルバムの売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。
セールスは更に伸び続け累計は187万枚を記録した。
この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。
そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。
第1弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位(初動7.2万枚)を記録。
続く『Birthday Eve』『D.D.D. feat. SOULHEAD』(いずれも5万枚限定生産)も好セールスを記録した。
同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。
しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる「大衆に影響を与えた楽曲」という条件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、彼女自身もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、来年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。
2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時トップ10入りという2003年のB'z以来、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。
同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(「Boys?Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST〜second session〜』を発売する。
その後も「恋のつぼみ」『4 hot wave』などのリリースや初の写真集『MAROC』の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。
150万枚を初回出荷したこの作品は、オリコンチャート4週連続1位を獲得し、初動売上枚数50.2万枚を記録。
これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高記録となった。
同年12月16日には第39回日本有線大賞、12月30日には、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
2005年は衣装などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、彼女は受賞時にその旨を語り、涙して喜んだ。
2007年では自身プロデュースによる7柄20色の振り袖「倖田來未Kimono Collection」を発表、政府広報「ストップ!いじめ」にチャリティー・パーソナリティとして参加、パチンコ「KODA KUMI FEVER LIVE IN HALL」を発表し話題となった等、歌手以外の活動にも多く進出した年となった。
歌手活動では『BUT/愛証』でスタートをきり、「KODA KUMI LIVE TOUR 2007?Black Cherry?」の最終公演では彼女の念願であった東京ドーム公演を開催し、大成功を収めた。
「愛のうた」では第21回日本ゴールドディスク大賞 邦楽部門アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞、ベストヒット歌謡祭・ポップスグランプリ、レコード大賞3年連続金賞受賞を果たした。
2007年を振り返り彼女は、「今年は音楽以外の活動もやらせていただいたけど、来年はさらに音楽に集中していきたい」と語った。
[シングル]
TAKE BACK(2000年12月6日)
Trust Your Love(2001年5月3日)
COLOR OF SOUL(2001年10月3日)
So Into You(2002年3月13日)
love across the ocean(2002年7月24日)
m・a・z・e(2002年12月11日)
Real Emotion/1000の言葉(2003年3月5日)
COME WITH ME(2003年8月27日)
Gentle Words(2003年12月10日 )
Crazy 4 U(2004年1月15日)
LOVE&HONEY(2004年5月26日)
Chase(2004年7月28日)
奇跡(2004年9月8日)
hands(2005年1月19日)
Hot Stuff feat. KM-MARKIT(2005年4月13日)
Butterfly(2005年6月22日)
flower(2005年8月10日)
Promise/Star(2005年9月7日)
you(2005年12月7日)
Birthday Eve(2005年12月14日)
D.D.D. feat. SOULHEAD(2005年12月21日)
Shake It Up(2005年12月28日)
Lies(2006年1月4日)
feel(2006年1月11日)
Candy feat.Mr. Blistah(2006年1月18日)
No Regret(2006年1月25日)
今すぐ欲しい(2006年2月1日)
KAMEN feat.石井竜也(2006年2月8日)
WIND(2006年2月15日)
Someday/Boys?Girls(2006年2月22日)
恋のつぼみ(2006年5月24日)
4 hot wave(2006年7月26日)
夢のうた/ふたりで…(2006年10月18日)
Cherry Girl/運命(2006年12月6日)
BUT/愛証(2007年3月14日)
FREAKY(2007年6月27日)
愛のうた(2007年9月12日)
LAST ANGEL feat.東方神起(2007年11月7日)
anytime (2008年1月23日)
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Koda Kumi (倖田來未) ft Tohoshinki ( 東方神起) - Last Angel - Live
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【九重 佑三子(ここのえ ゆみこ)】
九重 佑三子(ここのえ ゆみこ、1946年3月21日 - )は、東京都出身の歌手、女優。初代「コメットさん」役で有名。
夫は歌手の田辺靖雄。
長男はミュージシャンの田辺晋太郎である。
【九重 佑三子(ここのえ ゆみこ)の経歴】
1962年、ダニー飯田とパラダイスキングの一員としてデビュー。1963年、「シェリー」でレコードデビューを果たす。
1967年、「コメットさん」(TBS)に主演し人気を博し、同年のNHK「紅白歌合戦」では史上最年少で紅組司会者を務める。
1971年、ギルバート・オサリバンのヒット曲『Alone Again〜Naturally』を「私としたことが・・・」という印象的な歌い出しで始まる妙訳(訳詞:なかにし礼)によってカヴァーした『また一人』をリリース。
1973年、田辺靖雄と結婚。
育児のため一時芸能活動を休止。
近年は夫とのコンサート活動や、バラエティ番組のコメンテーターとしても活躍している。
また、メキシコでは初代「コメットさん」が大ブームとなり、メキシコで一番有名な日本人であるという
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Se醇oorita Cometa,
昭和の隠れた名曲 こわれたギターと燃えないランプ
メドレー(シェリー〜電話でキッス〜トラブル)
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漣健児メドレー (sazanami kenji medlay)
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