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手嶌葵(てしま あおい)です。
【手嶌葵(てしま あおい)】
手嶌葵(てしま あおい、本名同じ、1987年6月21日 - )は日本の女性歌手。ヤマハ音楽振興会所属。
ヤマハミュージックコミュニケーションズ所属。
福岡県出身・在住。
身長174cm。
【手嶌葵(てしま あおい)の経歴】
[人物]中学生の頃に対人関係から登校拒否に近い状態になり、卒業後はC&S音楽学院へ進む。
中学時代の心の支えとなったのはベット・ミドラーの「The Rose」であり、アマチュア時代からライブでカバーしている。
このカバーの音源がきっかけとなりデビューのきっかけをつかむ。
テレビ番組や雑誌でカメラが苦手である旨を語っている。
これは写真や映像撮影に慣れていないからであり、またアトピー性皮膚炎であることも関係している。
幼い頃から両親の影響で古いミュージカル映画に親しんで以来、映画鑑賞が趣味である。
スタジオジブリ制作映画では『紅の豚』がお気に入りで、1000回以上鑑賞していると語るほどである。
今時の若者には珍しくバラエティ関連には興味がなく、カラオケには生まれてから一度も行ったことはないし漫画も一切読まないという。
小学生の頃から福岡ソフトバンクホークスのファンであり、特に本多雄一内野手、馬原孝浩投手を好きな選手として挙げている。
174cmという身長の高さから、バレーボール選手になることを夢見た時期もある。
[略歴]
2003年よりアマチュアで音楽活動を開始する。
福岡のC&S音楽学院にも通い、音楽のスキルを身につける。
2003年・2004年、福岡で行われた『TEENS' MUSIC FESTIVAL』協賛のイベント『DIVA』に出場。
2005年3月、韓国で行われたイベント『日韓スローミュージックの世界』に出演、好評を博す。
後日、このイベントでの歌声を聴き、送付されたデモCDに収録された「The Rose」のカバーに惚れ込んだ宮崎吾朗監督直々の打診を受けて、当時まだ無名の新人ながら、スタジオジブリ映画『ゲド戦記』に大抜擢される。
2006年6月7日、映画挿入歌として映画公開に先駆けて先行発売したシングル『テルーの唄』が、オリコン初登場5位になるなど注目を集める。
2006年7月29日、『ゲド戦記』公開。
映画テーマソングの他、ヒロイン・テルーの声も務めている。
声優として出演を依頼された際に、本人は最初断ろうと思ったそうだが、兄がスタジオジブリ作品の大ファンであったため、出演を決意したという。
本人曰く人前で話すのは苦手で「テルーと似ている」とのことである。
2007年2月7日、2枚目のアルバム『春の歌集』をリリース。
2007年10月3日、2枚目のシングル『奇跡の星』をリリース。
発売前にMySoundで独占先行配信が実施される。
[シングル]
1. テルーの唄(2006年6月7日発売)オリコン最高位5位
スタジオジブリ全国公開映画『ゲド戦記』挿入歌、アサヒ飲料『三ツ矢サイダー・ゲド戦記キャンペーン』CMソング
2. 奇跡の星(2007年10月3日発売)オリコン最高位32位
映画『北極のナヌー』日本版主題歌
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%B6%8C%E8%91%B5
テルーの唄
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岸を離れる日
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手嶌葵 : The Rose
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[PV] 手嶌葵 - 奇跡の星
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岸を離れる日
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手嶌葵 : The Rose
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天童よしみ(てんどうよしみ)です。
【天童よしみ(てんどうよしみ)】
天童よしみ(てんどうよしみ 本名:吉田芳美、1957年9月26日 - )は、和歌山県田辺市出身の演歌歌手である。【天童よしみ(てんどうよしみ)の経歴】
生まれは和歌山県田辺市であるが、幼少期に大阪府八尾市に移住し、現在も在住。八尾市立龍華小学校、八尾市立龍華中学校卒業。
血液型はB型。
中学生であった頃の1970年10月4日に、吉田よしみ名義で『大ちゃん数え唄』を発売(コロムビアレコード)。
フジテレビ系列で放映されたテレビアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌である。
同曲は1998年11月21日にCDシングルとして再発されている。
1972年、ytv'「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝く。
レギュラー審査員のルポライター竹中労が作詞した『風が吹く』で、天童よしみとしてキャニオンレコードからプロデビュー。
命名も竹中であった。
長い低迷ののち、1986年12月にテイチクレコード移籍第一号として発売した『道頓堀人情』がヒット。
以降、1993年紅白歌合戦初出場、1996年に発売した『珍島物語』はロングヒットでミリオンセラーになり、天性のキャラクターと相まって不動の人気を誇っている。
1998年には、「天童よしみキーホルダー」が若い世代の人気を呼び、話題となった。
2006年8月29日、紅頭巾(くれないずきん)名義でシングル『紅頭巾参上』を発売。
新歌舞伎座の特別公演「天童よしみの痛快!紅頭巾〜明日への道標〜」の挿入歌である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%AB%A5%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%BF
Tendo Yoshimi - Tonbori Ninjo
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天童よしみ 「蝶柳ものがたり」
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TENDO YOSHIMI--ZASSOU NO UTA
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TENDO YOSHIMI--ANTA NO HANA MICHI
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いなかっぺ大将OP・ED
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天童よしみ 「蝶柳ものがたり」
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ディック・ミネです。
【ディック・ミネ】
ディック・ミネ(1908年10月5日 - 1991年6月10日)は徳島市出身の日本のジャズ・ブルースの歌手、俳優である。訳詞家・編曲家としては本名の三根 徳一(みね とくいち)を名乗り、第二次世界大戦中の敵性語規制の時代には三根 耕一(-こういち)、朝鮮半島では三 又悦(サム ウヨル)と名乗った。
創成期のテイチクレコードの立役者で、トーキー以降の日活と同社が提携したミュージカル映画をはじめとして映画に多く出演し、その後純然たる俳優としても活躍した。
【ディック・ミネの経歴】
1934年(昭和9年)、タンゴ楽団「テット・モンパレス・タンゴ・アンサンブル」で歌手兼ドラマーとして活躍していたのを淡谷のり子に見出され、レコード歌手の道を歩むこととなる。同年創立されたテイチクレコードの重役だった作曲家・古賀政男の推薦で、同社で『ダイナ』をレコーディング。
同曲では、自ら訳詞と編曲、演奏を担当。トランペッターとして南里文雄も参加し、片面にカップリングされた『黒い瞳』とともにテイチク創立以来の大ヒット曲となった。
古賀政男の勧めで、当時のいわゆる「流行歌」もレコーディングするようになる。
映画女優・星玲子とのデュエット曲『二人は若い』をはじめとして、1935年(昭和10年)には『波止場がらす』、『ゆかりの唄』などをリリース、これらの大ヒットで従来の純日本調の歌手とは一線を画す、新たなファン層を取り込んで、一躍流行歌界の寵児となる。
『愛の小窓』、『人生の並木路』、『旅姿三人男』と歌謡曲のヒットが続く一方で、『アイルランドの娘』、『林檎の木の下で』、『ラモナ』、『イタリーの庭』などの外国曲を日本語で歌い、戦前のジャズシーンを飾った功績は大きい。
1935年5月以降、ミネは朝鮮半島の「オーケーレコード」から「三又悦」(サム・ウ・ヨル)名義で朝鮮語の歌を数曲発売している。
ミネは、スクリーンへも活躍の場を広げ、伊賀山正徳監督の日活映画『ジャズ忠臣蔵』をはじめ、マキノ正博監督の『弥次喜多道中記』(1938年)、『鴛鴦歌合戦』(1939年)、『弥次喜多 名君初上り』(1940年)、あるいは島耕二監督の『街の唱歌隊』(1940年)といったミュージカル映画に出演した。
戦後、ジャズの復活とともに流行歌の世界でも活躍を再開し、1947年(昭和22年)、水島道太郎と共演した松竹映画『地獄の顔』の主題歌『夜霧のブルース』、『長崎エレジー』がともに大ヒット。
『雨の酒場で』、『火の接吻』などのヒットを続ける一方で、スクリーンやステージで活躍。
演技もできる歌手として、力道山主演の『純情部隊』などに俳優として活躍。
1955年(昭和30年)以降も、フランク永井や、ミネが名づけ親となったのちの脚本家、当時歌手のジェームス三木など後輩の面倒見もよく、後に俳優として活躍した藤田まことや植木等らを育てている。
テレビの登場とともに司会やコメンテーターとしても活躍、1965年(昭和40年)以降の「懐メロ」ブームには欠かせない存在となった。
「日本歌手協会」の3代目の会長となった後も、「自分は好き放題やってきたから世の中のためになることをしたい」と「反核運動」にも参加する一面も見せた。
1982年(昭和57年)には淡谷のり子とのデュエット楽曲『モダンエイジ』を発表し、「二人合わせて150歳のデュエット」と話題になった。
生涯で4人の妻を持ち、10人の子をもうけ、天下のプレイボーイとして知られたミネであったが、1985年(昭和60年)頃から体調を崩すようになり、1991年(平成3年)6月10日、急性心不全のため死去。
82歳没。
現在は多磨霊園に眠る。
「ディック・ミネ」の芸名は、ディック(英語で男性器のスラング)が非常に大きかったことからつけられたといわれる。
あまり知られていないがカツラ愛用者でもあった。
[おもなディスコグラフィ]
『ダイナ』、作詞三根徳一、作曲ハリー・アクスト、1934年
『アイルランドの娘』、作詞島田磬也、アイルランド民謡、1935年
『二人は若い』、作詞サトウ・ハチロー、作曲古賀政男、1935年 ※共演星玲子
元々は『のぞかれた花嫁』のB面曲であった。A面曲は検閲により歌詞が改訂された。
『ラモナ』、作詞柏木みのる、1936年
『愛の小窓』、作詞佐藤惣之助、作曲古賀政男、1937年
『人生の並木路』、作詞佐藤惣之助、作曲古賀政男、1937年
『林檎の樹の下で』、作詞柏木みのる、作曲エグバート・ヴァン・アルスタイン / ハリー・ウィリアムズ、編曲三根徳一、1937年
『どうせ往くなら』、作詞佐藤惣之助、作曲古賀政男、1938年 ※「三根耕一」名義
『旅姿三人男』、作詞宮本旅人、作曲鈴木哲夫、1939年
『或る雨の午后』、作詞和気徹作、作曲大久保徳二郎、1939年
『上海ブルース』、作詞北村雄三、作曲大久保徳二郎、1939年 ※シングル『或る雨の午后』B面曲
『夜霧のブルース』、作詞島田磬也、作曲大久保徳二郎、1947年
『長崎エレジー』、作詞島田磬也、作曲大久保徳二郎、1947年 ※共唱藤原千多歌
『キッス・オブ・ファイヤー(火の接吻)』、作詞三根徳一、作曲アンヘル・ヴィジョルド、1952年
『モダンエイジ』、作詞石坂まさを、作曲市川昭介、1982年 ※淡谷のり子とのデュエット
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
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夜霧のブルース
ディック・ミネ(Dick Mine)~ ダイナ(Dinah)
人生の並木路
旅姿三人男
ディック・ミネ(Dick Mine)~ ダイナ(Dinah)
人生の並木路
旅姿三人男
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DEEN(ディーン)です。
【DEEN(ディーン)】
DEEN(ディーン)は、ボーカル池森秀一(SHU、主に作詞担当)、キーボード山根公路(作曲担当)で1993年に結成された音楽ユニットで、1990年代前半、一大ブームを巻き起こした元ビーイング系バンドである(現在はビーイングから脱退)。【DEEN(ディーン)の経歴】
1993年 - 『このまま君だけを奪い去りたい』でデビュー。ミリオンヒットを記録する。他3枚のシングルをリリース
1994年 - 『瞳そらさないで』が初のオリコン1位で2作目のミリオンヒットとなり、1stアルバム『DEEN』も150万枚を越える大ヒットを記録する。
1stシングルと1stアルバムが共にミリオンヒットを記録したのは、史上初のことだった。
1995年 - メンバーによる初の作詞、作曲した曲『未来のために』を発表、オリコンチャート1位を記録する。
また、この曲で初めてテレビ出演を果たす。
そして、日本テレビ系列の番組(劇空間プロ野球)のテーマ曲にも起用された。
1996年 - 『ひとりじゃない』がフジテレビ系アニメ「ドラゴンボールGT」のエンディングテーマとなる。
1997年 - 『銀色の夢 〜All over the world〜』が長野オリンピックのボランティア公式ソングとして採用される。
『君がいない夏』がアニメ「名探偵コナン」のエンディングとなる。
『夢であるように』がゲームテイルズオブデスティニーのテーマソングとなる。
同ゲーム内にDEENも出演。
1998年 - 『遠い空で』、初のベストアルバム『SINGLES+1』(オリコン1位獲得)、『君さえいれば』をリリース後、B-Gram RECORDSからBMGジャパンのビーイング専用レーベルのBERG レーベルへ移籍。
シングル『手ごたえのない愛』、アルバム『The DAY』リリース。
1999年、1990年代アーティストトータルセールスランキング49位(155,660 単位10万)(オリコン)
2000年 - メンバーによる初の全楽曲、セルフプロデュースの作品、5thアルバム『'need love』をリリースする。
2001年 - 初のバラードベストアルバム、『Ballads in Blue 〜The greatest hits of DEEN〜』をリリースする。
韓国国内版の映画『猟奇的な彼女』の挿入歌にDEEN名義で「ANOTHER LIFE」(英詞版)が起用。
日韓共同製作・同時リリースアルバム「PROJECT 2002 The Monsters」にDEEN、SHU&Positionで参加。
2002年 - 坂本九の『見上げてごらん夜の星を』などをカバーしたアルバム、『和音〜Songs for Children』をリリース。
2003年 - 4月に『翼を風に乗せて〜fly away〜』で、約7年ぶりにオリコンシングルチャート10位以内を記録。
10月発売の『ユートピアは見えてるのに』も10位以内に入る。
1年間に2枚のトップ10入りは7年ぶり。
8月のシングル『太陽と花びら』でBERGマークが消える。
BERG レーベルが消滅、ビーイングから離脱する。
2003年 - ショートムービー「君のままで」にメンバー出演、主題歌「星の雫」
2004年 - 韓国での日本音楽全面解禁に伴い、日本人として初めてワンマンライブを開く。
2004年 - 東京ヴェルディ1969のテーマソング、『STRONG SOUL』をリリース。
12月には亀渕友香&The Voice of Japanと共演した『愛の鐘が世界に響きますように…』をリリース。
2005年 - 千葉マリンスタジアムで国歌を斉唱。
セルフカバーシングル『このまま君だけを奪い去りたい/翼を広げて』がオリコン9位を記録。
同曲として12年ぶりのトップ10入りを果たす。
また、音楽番組、ミュージックステーションのランキングでは5位にランクイン。セルフカバーベストアルバム、『DEEN the Best キセキ』をリリース。
韓国ドラマ天国の階段主題歌「会いたい」のカバー、川島だりあ作詞、織田哲郎作曲、葉山たけし編曲による書き下ろしの新曲「TWELVE」収録。
2006年 - 世界的オーボエ奏者の宮本文昭のラストアルバムに楽曲提供。
8月に千葉ロッテマリーンズ公式イメージソング『ダイヤモンド』をリリース。
11月発売のPS2版テイルズオブデスティニーのイメージソングに再び「夢であるように」が選ばれた。
10月にアルバム「Diamonds」のリリース、その後「DEEN LIVE JOY-Break11」開催。
2007年 - 4月25日『DEEN LIVE JOY COMPLETE 2006-2007
さらに、2001年から2002年まで発売したライブDVD3タイトルが5月23日に再発売。
8月4日の福井を皮切りに10月21日の沖縄公演まで、全国47都道府県ライブツアーの開催が決定。
クラシックシリーズシングル『Classics Four BLUE Smile Blue』も8月22日に発売。
12月19日にはDEEN The Best Classicsを発売。
2008年 - 『DEEN LIVE JOY-Break 12〜Road to 武道館〜』が1月から開催。
6月にはデビュー15周年を記念して武道館でのライブが予定されている。
『夢であるように』が1月発売のPS2用ソフト「テイルオブデスティニー ディレクターズカット」のイメージソングとしてCMで放映される。
[シングル]
1st このまま君だけを奪い去りたい
2nd 翼を広げて
3rd Memories
4th 永遠をあずけてくれ
5th 瞳そらさないで
6th Teenage dream
7th 未来のために
8th LOVE FOREVER/少年
9th ひとりじゃない
10th SUNSHINE ON SUMMER TIME
11th 素顔で笑っていたい
12th 君がいない夏
13th 夢であるように
14th 遠い空で
15th 君さえいれば
16th 手ごたえのない愛
17th 遠い遠い未来へ
18th JUST ONE
19th MY LOVE
20th Power of Love
21st 哀しみの向こう側
22nd 見上げてごらん夜の星を
23rd 夢で逢えたら
24th Birthday eve 〜誰よりも早い愛の歌〜
25th 翼を風に乗せて〜fly away〜
26th 太陽と花びら
27th ユートピアは見えているのに
28th レールのない空へ
29th STRONG SOUL
30th 愛の鐘が世界に響きますように…
31st このまま君だけを奪い去りたい/翼を広げて
32nd Starting Over
33rd ダイヤモンド
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/DEEN
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寺尾 聰(てらお あきら)です。
【寺尾 聰(てらお あきら)】
寺尾 聰(てらお あきら、1947年5月18日 - )は、日本の俳優、歌手、ベーシスト。神奈川県横浜市出身。
俳優・宇野重吉の長男。
サングラスをかけ、ニヒルな表情がトレードマーク。
和光学園、法政大学第二高等学校、文化学院卒業。
ほっぺにホクロが二つあることからボッペという仇名もある。
【寺尾 聰(てらお あきら)の経歴】
1964年に奥島吉雄らとカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成しベースギターを担当。新興の芸能事務所・ホリプロダクションに所属し、1966年に『いつまでもいつまでも』でレコードデビュー。
大ヒットするが、すぐにグループを脱退。
1968年、三保敬太郎を中心としてザ・ホワイト・キックスというグループ・サウンズに参加。
シングル1枚出して解散。
同じ年には石原裕次郎製作・主演の映画『黒部の太陽』で俳優デビュー。
これを機に裕次郎の門下となり、石原軍団の若手有望株として主にテレビドラマに出演。
青春ものドラマなどで二枚目半的な役柄を演じることが多かった。
また『大都会』では新聞記者、『大都会 PARTIII』(日本テレビ)、『西部警察』(テレビ朝日)など石原プロモーション制作のアクションドラマでは刑事役で活躍した。
『ルビーの指環』を石原プロ関係者に聴いてもらったところ、「こんなお経みたいな曲が売れる訳がない」と小林専務は難色を示したが、石原裕次郎の「いいじゃないの」の一言で、レコード化が決定した。
そして、1981年にはヨコハマタイヤのCM曲だった『シャドー・シティ』に続き『ルビーの指環』が大ヒットし、『ルビーの指環』は日本レコード大賞・FNS歌謡祭'81グランプリを受賞した。
さらに、『ザ・ベストテン』では、『ルビーの指環』、『シャドー・シティ』、『出航 SASURAI』が3曲同時にベストテンにランクインされ、『ルビーの指環』12週連続1位の栄誉を讃えた真紅の記念シートも設置された。
この、ベストテン12週連続1位の記録はのちに数多くの歌手がこの記録に挑んだが、誰も破ることはできなかった。
しかしヒットを受けて行われた翌年の全国ツアーの序盤、「貯金箱を壊してコンサートの切符を買いに来たのに、入場できなかった子供がいた」ということを聞き、激怒。
これはツアーの開始前に、「今回は曲とアルバムのヒットでの、ファンに対するお礼を込めたツアーなので、マスコミ取材陣の席は無い」と約束していたが、入れないファンが大勢いたにも係わらず取材陣用の席が多く余っていた事に対するものであった。
ツアーに込めていた思いを踏みにじられた寺尾は、スタッフに対しての不信感を募らせ、以降の一切のマスコミ取材を拒否し、所属する石原プロはその対応に追われた。
興行としてのコンサートという石原プロとの考え方の相違もあり、石原プロ首脳(小林専務)と寺尾の関係が悪化。
また同時期に、かねてから役者としての活動フィールドを、石原プロが得意とするアクション物(刑事物)から人間の内面を演じる文芸作品に移したいと考えていたこともあり、これを機に石原プロから離脱することになった。
しかし父の宇野重吉と石原裕次郎は昵懇の仲であり、石原は寛容な気持ちでその後の寺尾の活動を見守った。
その後80年代後半から『乱』『夢』『まあだだよ』の黒澤明作品に続けて出演し、役者としての奥深さを学ぶ。
01年、黒澤明の遺稿となる、『雨あがる』に出演し日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を受賞。
日本レコード大賞と日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を両方獲得しているのは寺尾1人だけである。
また、2005年にも『半落ち』での演技で同賞を2度目の受賞するなど、俳優として円熟期に入り好評価を得ている。
現在の妻は、1979年秋の資生堂CM『微笑みの法則』に出演したモデルの星野真弓。
『西部警察』の九州ロケで共演している。
また女優の故・范文雀は元妻。
2005年7月7日、「CLUB CITTA」(神奈川県川崎市)でのライブを期に18年振りに歌手活動を再開。
現在でもステージでベースギターをプレイ。
使用しているのは フェンダーのジャズベース。
「ザ・サベージ」時代と変わらぬ素晴らしい腕前を披露してくれる。
アルバム『Re-Cool Reflections』も発売され、メロウな歌声を聴かせている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B0%BE%E8%81%B0
寺尾聡 ルビーの指輪
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