芳本美代子(よしもとみよこ)のYouTube(ユーチューブ)動画。
【芳本美代子(よしもとみよこ)】
芳本美代子(よしもとみよこ、1969年3月18日 - ) は、山口県宇部市出身の女優、元アイドル歌手。本名は金山美代子(かなやまみよこ、旧姓芳本)。
血液型はB型。
身長158cm。
所属事務所は芸映プロダクション、歌手活動当時のレコード会社はテイチク。
明治大学付属中野高校定時制卒業。
愛称はみっちょん。
【芳本美代子(よしもとみよこ)の経歴】
1969年3月18日、山口県小野田市(現・山陽小野田市)の病院で三姉妹の次女として誕生する。中学時代はバスケット部に所属する。
中学3年在学中の1983年、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わる。
しかし、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフからスカウトされ、山口から福岡に通う形で歌のレッスンを始める。
1984年3月に芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京、翌85年3月21日に「白いバスケット・シューズ」でデビューを果たす。
一定の人気を博し、その年の各音楽祭で新人賞を獲得する。
なお、デビュー前にニッポン放送ラジオ「前略一世風靡セピア」の中で「美代子のハーピット占い」という機械を使ってリスナーの相性占いをするというコーナーを担当していた。
デビュー当時、彼女の歌は一定水準を満たしたもので、またスタイルにも充分なアイドル性が備わっていたが、音楽セールス的にはやや苦戦を強いられた。
既に1980・82年デビュー組によって70年代からの世代交代が完了し、同期にも中山美穂・南野陽子・松本典子・斉藤由貴・本田美奈子ら有力新人が多かった。
さらに所属事務所からも志村香がほぼ同時にデビューした上に、レコード会社は当時女性アイドルの育成が全く不得手だったテイチク所属、加えておニャン子クラブの台頭で求められるアイドル像が変質していった時期と重なり、彼女が置かれた環境は良好なものとは言えなかった。
しかしこれら悪条件を、自ら「体育会系」と認める明るく芯の強い性格と体力で乗り切ってゆく(デビュー当初から好きな食べ物に焼肉を挙げ、華奢な体格に反して大食で、成人後は更に酒豪が加わった)。
歌手活動末期は表現力も向上し、CHAGE and ASKAに依頼した2枚のシングルやサザンオールスターズのカバーなど佳曲も少なくない。
1990年、ミュージカル「阿国」の演技が高く評価され、第28回ゴールデンアロー賞・演劇新人賞を受賞する。
これを契機に芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替え、数多くの作品に出演する。
1996年、俳優の金山一彦と結婚。
その後金山の女性問題(河合美智子との不倫)が元で一時別居状態になるも復縁し、1児を出産する。
2005年現在、中堅女優として、テレビドラマや舞台等で活躍している。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E6%9C%AC%E7%BE%8E%E4%BB%A3%E5%AD%90
◎芳本美代子(よしもとみよこ)のYouTube(ユーチューブ)動画。
芳本美代子 「Auroraの少女」
アプリコット・キッス
芳本美代子 「横顔のフィナーレ」
芳本美代子 涙のイヤリング
Two of Hearts & Come Go with Me
吉幾三(よし いくぞう)のYouTube(ユーチューブ)動画。
【吉幾三(よし いくぞう)】
吉幾三(よし いくぞう、1952年11月11日 - )は演歌歌手、作詞家、作曲家である。青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身。
本名:鎌田善人(かまた よしひと)。
【吉幾三(よし いくぞう)の経歴】
1972年3月1日 - 山岡英二として『恋人は君ひとり』でデビュー。1977年11月25日 - 吉幾三に改名、自作曲『俺はぜったい!プレスリー』発売。
大ヒットとなり、映画化される。
この後しばらく低迷する。
1984年3月25日 - 千昌夫への提供曲『津軽平野』発売。
1984年11月25日 - 『津軽平野』を提供した千昌夫のプロデュースを受け、背水の陣で臨み発売された『俺ら東京さ行ぐだ』が大ヒットする。
初ヒット曲『俺はぜったい!プレスリー』はコミカルなフォークソングと呼べるもので、『8時だョ!全員集合』のゲストとして歌ったこともある。
この時改名した名前『吉幾三(よしいくぞう)』は人を喰ったような名前で面白く、当時の『クイズダービー』の三択問題となった。
大ヒット曲『俺ら東京さ行ぐだ』は、当時のオリコンでは演歌チャートではなく、「フォーク、ニューミュージック」チャートでランクインしていた。
なお、この歌の歌詞は吉幾三の出身地の言葉である津軽弁であると勘違いしている人も多いが、全く津軽弁になっていない。
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第3シリーズでは主題歌・エンディングテーマを歌った。
エンディングの『おばけがイクゾー』は吉の作詞・作曲によるものであり、当時はまだ色物の印象が強いと言われたシンガーソングライター・吉幾三の本領が発揮された作品である。
恩人で盟友と言える千昌夫に影響されバブル経済期に莫大な投資を行い、バブル崩壊で大損害を被った…と自虐ネタを披露することも多い。
新日本ハウスのCM曲として有名な『Dream』(住みなれた/我が家に…)も、吉の作詞作曲である。もともとCM専用曲として作曲したが、大きな反響があり後からCD化が決定した。
酒豪としても有名で、『志村けんのバカ殿様』に出演するときは必ず、度数の高い酒を持参して志村けんと共に飲むのが恒例である。
バカ殿を困らせる数少ない人物。
2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する『雪國』を初めとする代表曲で背景映像に吉本人が出演する映像が多く採用されている。
代表作『酒よ』には、自分の半生を歌った26分バージョンが存在する。
下ネタが相当大好きなようで、笑いと涙が同居する隠れた名曲「と・も・子…」の語りには「とも子のはいてたパンティ、いっつもほおずりしてるの。たまにかぶって歩いたりしてるの」という部分があったり、山口美江とある番組に登場した時「今日は美江さんに逢えると思って、昨日からオナニーしまくりました」といったり、『志村けんのバカ殿様』では怪しい祈祷師役で放送禁止用語を連発していた。
郷里の金木町に『いくぞうハウス』というタレントショップを経営している。
2007年10月19日、社会人硬式野球チーム「吉球団『ブルーズヨシフォレスト』」の設立を青森市内で発表。
自身は総監督を務める。
2007年11月26日に催されたデビュー35周年記念パーティーの席で、3年前からC型肝炎を患っていたことを告白。
現在は完治したとのことである。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載しました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B9%BE%E4%B8%89
◎吉幾三(よし いくぞう)のYouTube(ユーチューブ)動画。
850321 俺ら東京さ行ぐだ
〔You can enjoy Videos by 『YouTube Seeker』〕
Yoshi Ikuzo - Tsugaru Heiya
吉幾三 2曲
〔You can enjoy Videos by 『YouTube Seeker』〕
ゲゲゲの鬼太郎 80's
〔You can enjoy Videos by 『YouTube Seeker』〕


